平家の先祖は桓武天皇。三代目より「平」の性をたまわって武士となり、八代目・忠盛から殿上人におさまります。宮中にある「殿上の間」に、武士が上がることを許された前例はなく、それほど忠盛は上皇の信頼を厚く受けていたといえるでしょう。
さらに嫡男である平清盛は、太政大臣従一位へ昇進。日宋貿易の拡大策などの功績を上げ、権力は絶対のものとなっていきました。

しかし実直であった父とは異なり、清盛は民衆への不信感をつのらせ、「六波羅殿のざんばら髪」と呼ばれる少年たちを使って謀反を防ごうとするなど、その横暴さが際だつようになります。
邸の中でも、妻であった妓王への仕打ちなど、清盛の行為は目に余るものとなっていきました。諸国の武士団の不満も次第に高まる中、ついに源頼朝が兵を挙げます。富士川の合戦(1180年)で平家が初の敗退。清盛の死後は、
倶利迦羅(くりから)が谷の合戦一の谷の合戦、さらに源義経が大将となった屋島の合戦でも源氏が勝利をおさめ、いよいよ平家の権力は揺らぎはじめます。
最期の決戦である壇ノ浦の闘い(1185年)では、赤い旗の平家の舟が約一千、白い旗の源氏方が約三千。平家の衰退に加え、戦の途中から源氏方に寝返る兵も多く、栄華を極めた一族も悲劇的な最期をとげました。わずか二十年という短い歳月の中で、激しい盛衰の道をたどった平家。この氏族の歴史を琵琶法師に語らせ、後に書物として記されたものが、現代も名文として名高い古典
「平家物語」
なのです。
  
 

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