一の谷の合戦
1184年


平家を討ち滅ぼす命を受けた木曽義仲は、都に入ると人々の着物を奪うなど、勢いにまかせて横暴な行為に及びはじめた。
法皇がこれを止めると、逆に御所を攻める始末。
そこで源頼朝が法皇の命を受け、弟の範頼と義経を大将軍に仕立てて木曽義仲を討つ。木曽義仲は同じ源氏の手によって最期を迎えたのだった。その後、範頼と義経が平家の不意をついた戦いが一ノ谷の合戦。
このときの作戦が、「一の谷の坂落とし」と呼ばれるもの。
福原(兵庫県神戸市)の一ノ谷に陣をかまえ、三千騎を率いてほぼ垂直に切り立った十四、五丈(約45メートル)の崖を一気に駆け下りた。
谷の反対、海側へと逃げた平家は、数少ない助け船によって身分の高い者だけが運び出され,多くの武士は船にしがみついたものの、味方によってその腕を切り落とされ、一の谷の浜辺に残されたという。

 
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  「一の谷の戦い」 で退却の船に乗り遅れた 敦盛 は 船に向かって泳いでいるところを 直実 に呼び止められます。
直実は、敦盛 の年齢を知り助けようとしますが、周囲は敵に満ちており助けられません。
敦盛 は静かに云いました。

「我が首を討て」 と...

平家物語でもっとも哀しい逸話ではないでしょうか。




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