倶利迦羅(くりから)が谷の合戦
1181年

平清盛の死後まもなく、源頼朝のいとこにあたる木曽義仲が兵を挙げた。加賀と越中(現在の富山)の堺にある砺波山(となみやま)の北側に陣を構えた義仲の作戦が、後に伝わる「倶利迦羅落とし」。
まず旗持ちを先に進めて大軍と思わせ、敵の足を止める。そして暗くなってから攻め、倶利迦羅が谷へ敵を追い落とすというもの。
戦いは義仲の思惑通りに進み、背後と正面から義仲の兵の声を聞いた平家は、われ先にと谷へ逃げ降りていった。
闇の中であったため、谷底は見えない。降りた先に道があるはずと踏んだ平家は、次々と深い闇へ吸い込まれていった。やがて倶利迦羅が谷は平家の軍勢七万騎ほどで埋め尽くされ、谷川は血の流れとなっていたという。


 
 
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